『西の魔女が死んだ』
『西の魔女が死んだ』(2008・日本)
原作:「西の魔女が死んだ」(梨木香歩)
監督:長崎俊一
出演:サチ・パーカー 高橋真悠 りょう 木村祐一 他
http://nishimajo.com/top.html
“おばあちゃんは、魔女などではなかったのでは?”
原作は読んでいない。本作を鑑賞して胸に涌き上がった小さな疑問は、これだった。
魔法を掛けるシーンは一つとして存在しない。ラストシーン、既に臨終したはずの「おばあちゃん」(サチ・パーカー)から、不思議なかたちで主人公の少女「まい」(高橋真悠)へと最後のメッセージが伝えられる。しかしそれも、恐らくおばあちゃんから託されて「ゲンジさん」(木村祐一)が曇りガラスに描いたものだろう。でなかったら、あの場面でキム兄があんなに不自然な場所から現れる必要がないもん。わざわざ脚元の“きゅうり草”に話題を振り、「まい」の目線を下に移させる必要性がないもん。
思うに、おばあちゃんの魔女に関する一連のお話しは、“方便”だったのだ。人を育て、大人への階段をのぼらせる、この上なく素敵で優しい教育上の“方便”だったのだ。
終演近く、母娘が危篤の西の魔女宅へ向かう車中、母(りょう)は娘「まい」に問いかけられて、「あの人(おばあちゃん)は本当の魔女よ…」とこぼす。この母娘はともに、おばあちゃんは魔女なのだと信じている。それを信じて成長したのだ。おばあちゃんから施された魔女修行を通して、一人は立派に大人になり娘を持つ親となった。その娘もまた、学校生活上の危機的な悩みを乗り越えて大人への階段を一つのぼった。
魔女になるためには、強い意思が必要。それを持つためには「早寝早起き、規則正しい生活をし、食事をきちんととって、よく遊ぶ。そして、何でも自分で決めること」が大切。この言葉は、決して魔女になるために必要なのではない。大人になるために、すべからく全ての人々にとって大切な、この上なく大切なことなのだ。
考えてみれば、産み落とされた子が成長し大人になること自体、とても奇跡的なこと。子が道を踏み外さぬよう、時には叱咤し時には褒め讃えて育て上げることこそが、一種の魔法なのだ。
おばあちゃんの魔女修行という“方便”も、おばあちゃん流の“魔法”だった。そしてその“魔法”はいまもこの母娘にかかったままだ。どうかこの先もずっと解けないでほしい。この親子をこの先もずっと暖かく包みこんでいて欲しいと願った。
手嶌葵の曲に乗ったエンドロールが終わらないうちに、席を立った。頬を熱いものが伝ったから。
電車に乗っても涙があふれて止まらなかった。わざわざ雨の日に畑の土を採りに行ってたキム兄は、「まい」の秘密の場所であるお花畑を、周りを囲む急峻な土手が崩れて台無しになることから守ってくれてたんだと気づいたから。いい役を演じたね、キム兄。とても好きになったよ!
冒頭の疑問に対する答えは、はっきりと得られた。“おばあちゃんは、やっぱり本当の魔女でした。”
原作:「西の魔女が死んだ」(梨木香歩)
監督:長崎俊一
出演:サチ・パーカー 高橋真悠 りょう 木村祐一 他
http://nishimajo.com/top.html
“おばあちゃんは、魔女などではなかったのでは?”
原作は読んでいない。本作を鑑賞して胸に涌き上がった小さな疑問は、これだった。
魔法を掛けるシーンは一つとして存在しない。ラストシーン、既に臨終したはずの「おばあちゃん」(サチ・パーカー)から、不思議なかたちで主人公の少女「まい」(高橋真悠)へと最後のメッセージが伝えられる。しかしそれも、恐らくおばあちゃんから託されて「ゲンジさん」(木村祐一)が曇りガラスに描いたものだろう。でなかったら、あの場面でキム兄があんなに不自然な場所から現れる必要がないもん。わざわざ脚元の“きゅうり草”に話題を振り、「まい」の目線を下に移させる必要性がないもん。
思うに、おばあちゃんの魔女に関する一連のお話しは、“方便”だったのだ。人を育て、大人への階段をのぼらせる、この上なく素敵で優しい教育上の“方便”だったのだ。
終演近く、母娘が危篤の西の魔女宅へ向かう車中、母(りょう)は娘「まい」に問いかけられて、「あの人(おばあちゃん)は本当の魔女よ…」とこぼす。この母娘はともに、おばあちゃんは魔女なのだと信じている。それを信じて成長したのだ。おばあちゃんから施された魔女修行を通して、一人は立派に大人になり娘を持つ親となった。その娘もまた、学校生活上の危機的な悩みを乗り越えて大人への階段を一つのぼった。
魔女になるためには、強い意思が必要。それを持つためには「早寝早起き、規則正しい生活をし、食事をきちんととって、よく遊ぶ。そして、何でも自分で決めること」が大切。この言葉は、決して魔女になるために必要なのではない。大人になるために、すべからく全ての人々にとって大切な、この上なく大切なことなのだ。
考えてみれば、産み落とされた子が成長し大人になること自体、とても奇跡的なこと。子が道を踏み外さぬよう、時には叱咤し時には褒め讃えて育て上げることこそが、一種の魔法なのだ。
おばあちゃんの魔女修行という“方便”も、おばあちゃん流の“魔法”だった。そしてその“魔法”はいまもこの母娘にかかったままだ。どうかこの先もずっと解けないでほしい。この親子をこの先もずっと暖かく包みこんでいて欲しいと願った。
手嶌葵の曲に乗ったエンドロールが終わらないうちに、席を立った。頬を熱いものが伝ったから。
電車に乗っても涙があふれて止まらなかった。わざわざ雨の日に畑の土を採りに行ってたキム兄は、「まい」の秘密の場所であるお花畑を、周りを囲む急峻な土手が崩れて台無しになることから守ってくれてたんだと気づいたから。いい役を演じたね、キム兄。とても好きになったよ!
冒頭の疑問に対する答えは、はっきりと得られた。“おばあちゃんは、やっぱり本当の魔女でした。”



